餌や募金の窓口に

餌や募金の窓口に

写真の二次使用は禁止します (c)Miyuki Kawase

昭和25年冬の山崎定次郎さんによる給餌の成功以来、タンチョウは年々その数を増やしていったが、当時は、給餌 に対する行政の対応も十分でなく、地元の農家や子供たちの善意に頼らざるを得なかったのである。阿寒中学校にツルクラブが誕生したのもそのような経過の中 であり、給餌や調査などにも子供たちなりの貴重な役割があったのである。

阿寒中学校のツルクラブのことは別な項でふれるとして、校長の大井 先生を中心とする学校ぐるみの活動が昭和39年1月NHKテレビの子供番組「こちら、ワンパクテレビ局」で全国に放送された。この放送の中で、ツルクラブ 員が自分たちの体験をもとに「エサ不足でツルがかわいそう」と訴えた。
その2日後、美幌町の根塚恵子さんがトウモロコシ10キログラムを送ってくれたのをはじめとして全国的に大きな反響をよび、数か月の間に寄せられたエサや 募金は600件におよんだのである。その後、毎年、札幌の藤の沢小学校をはじめ、全国の個人や団体から阿寒中学校や町教委、釧路教育局を通じて送られてく るようになるなど、タンチョウ保護に対する関心は全国的に高まったのである。

阿寒中学校としては、早速自分たちの活動のあゆみとツルの生態 研究をまとめた冊子「日本の鶴」を発行しお礼におくったのであるが、山のように集まったプレゼントの処置とお返しに頭を痛め、手が回りきらない状態が続く ようになった。このような中で、タンチョウ鶴愛護会が誕生し、エサや募金の窓口も受け持つことになったのである。
全国からエサのプレゼントはその後も数年続くことになるが、発足間もなく、どこかテレビ局がタンチョウの好物は「茶ガラです」と、間違った放送をしたため に、「病院ぐるみでためたものです」などと手紙が添えられた「茶ガラ」が大きなダンボール箱で送られてくるようになり、事情を書いたお礼の手紙を出すのに 事務所はテンテコ舞いをさせられることとなった。そこで、白鳥のくる根室のある町にトラックで何回か送り届けたが、それも断られるようになりついには、現 物の処理にホトホト困って、ツルにその愛情を伝えることが出来ない複雑な気持ちで処分したが、この時ほど善意で送ってくれた人たちに、申し訳ないと思った ことはなかった。

それにしても、タンチョウに対する関心の高さとやさしい人たちの多いことにほんとうに驚いたものである。

ツルに対する善意は、今なお続いているが、中でも釧路まきばユースホステルのペアレント太田佳克さんは、訪れるホステラーにタンチョウ保護を訴え、その浄財を昭和49年以降毎年続けて愛護会に寄せられ56年12月でその額は19万4000円にもなった。
また、ツルの名を商標にしている賀茂鶴酒造(本社、広島県東広島市)と日本清酒(本社、札幌市)の2社は、昭和40年の発足以来毎年多額の寄付金を「エサ 代の一部に」と、愛の定期便は続けられている。これらの浄財は、愛護活動の貴重な財源となり、これまで地道な活動が展開できたのも、これらの人たちが支え てくれたお陰と言える。

広く保護活動を展開

愛護会が発足したとき、タンチョウを直接保護する団体としての期待と役割は大 きかった。タンチョウの給餌畑の耕作を農家に委託したり、ドジョウの養殖池を造って冬季の小魚を確保したり、会独自で飛来状況を調査したのをはじめ、タン チョウ見学のため訪れてくる人々の影響からタンチョウを護るため観察施設の設置を訴え、会予算の中にそのための積み立てをするなど地道な保護運動が展開さ れた。

発足以来この16年間の運動の中で特筆すべき成果は、昭和56年10月から飛来地一帯が「阿寒鳥獣保護区」に指定されたことである。 長い間の運動の翁成果であった。これは。銃によるタンチョウへの影響が心配され、断定できないもののハンターによる事故も数件あったことから強力に保護区 指定を働きかけた結果、飛来地域の南北約10㎞、東西7キロメートルにかけた約5373ヘクタールが鳥獣保護区に指定され、環境の保全が一段と図られるこ とになった。従来この指定は林野が中心であるが、阿寒町の場合は市街地や農家を含んでの広域指定という点でユニークなものとなり、今後の運用と効果が期待 されている。

活動の輪を全国に

当初から愛護会は、タンチョウ愛護に関係ある地元関係者の代表者をもって組織された。いわば保護の指導機関のような性格をもっていた。そのため財政や活動力などの点では限界があるため、昭和56年度から賛助会制度を設けたのである。
これは、愛護会活動に対して町内はもとより広く全国の愛鳥家に協力、支援の手を募り、同時にタンチョウ愛護思想の普及も図ろうというのが制度の大きなねら いであった。広く大きな活動をするためにはこの会の趣旨を理解し、これを支えてくれる善意の賛同者が必要となったのである。

昭 和56年12月の下旬から募集を開始したところ、1口3000円で延べ92口、84名が賛同し会員として協力を申し出た。地元釧路市をはじめ、遠くは九州 の人も心よく入会を申し出た。今後は、この保護活動に「自分はタンチョウ愛護活動に参加しているというプライド」を持った人たちがどんどん増え、タンチョ ウに対する保護思想がさらに一段と全国に広まることを期待しているのである。
そのことにより、今問題となっているタンチョウの生息地をおびやかす悪質カメラマンの行為が、今後減少していくであろうことを願っているのである。

「タンチョウその保護に尽した人々」より
愛護会前事務局長 佐藤照雄 記